本日、ミャンマーで軍事クーデターが発生した。日本でも有名なアウン・サン・スーチーさんも拘束されたようだ。
ミャンマー国軍、政権奪取を発表 非常事態も宣言https://t.co/qrjDLCJf7y
アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相を拘束した国軍は、非常事態を宣言。
国軍は、政権が国軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官に「移譲された」とし、政権を奪取したと発表した。
— 産経ニュース (@Sankei_news) February 1, 2021
さらに、街中には兵士の姿も。
【街に兵士 事実上のクーデター】https://t.co/HWCesoZITv
ミャンマー国軍は1日午前8時半(日本時間午前11時)ごろ、国軍が保有するテレビを通じ、「軍が国家の権力を掌握した」と宣言した。事実上のクーデターとみられる。英BBCなどによると、首都ネピドーの通りには兵士らの姿がある。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) February 1, 2021
このほか、首都ネピドーでは電話やインターネットが繋がりにくくなっており、詳細な状況は分からない。
このクーデタの背景に何があるのかを考えてみたい。
が、その前に、ミャンマーについてすこし振り返ってみたい。
ミャンマーでは長らく軍が政権を握っていたが、1990年になると、イギリスにいたアウンサン・スーチーが帰国した。
背後にいたのは、国際金融資本勢力だろう。1990年に実施された選挙では、スーチー・NLDが軍事政権に勝利した。しかし、結果を認めない軍事政権によって長期間軟禁されることとなってしまった。
民主的な手法によらず政権に固執するミャンマー軍事政権に対しては、世界から経済制裁を課されることとなった。ところが、お隣の中国が軍事政権をちゃっかり支援(日本も少し支援)。軍事政権と中国は急接近した(この後、つかず離れずを繰り返すが)。
この後、欧米勢の裏工作もあったと思われるが、2010年には軍事政権首班のティンセインが軍を退役する形で(見た目は)文民政権となったほか、スーチーも国政に参加することになり経済制裁も解除されていった。
2011年のダボス会議の場において、スーチー自らミャンマーへの投資を呼びかけたこともあって、日本はじめアジア・欧米各国からの投資がミャンマーになだれ込んだ。この時期、あのジョージ・ソロスですらもミャンマーを訪れており、本格的に国際金融資本の投資対象となったのだった。
1990年の選挙から20年の時を経て、アジア最後のフロンティアとも言われたミャンマーに、国際金融資本勢力の資金がなだれ込める状況となったワケだ。
とは言え、経済制裁中にミャンマーに食い込んで「先行者利益」を独占していた中国のアドバンテージを覆すのは難しかっただろうから、さほど美味しくなかったのではないかと思われる。
この後、2015年には、スーチー・NLDと軍事政権の連立政権となり、政治的にも民主化が進み始めた。これで、めでたしめでたし・・となればよかったんだが、2016年になると、ミャンマー西部で「ロヒンギャ問題」が発生した。
ARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)が武装蜂起して、ミャンマー政府軍に鎮圧されたのだ。この武装蜂起に協力したロヒンギャ族は難民となってバングラデシュへと逃げ込んだ。
しかし、SNS全盛時代にあって、ミャンマー軍事政権の「残虐さ」だけが過剰喧伝されることとなる。
ちなみに、ロヒンギャ族はミャンマー西武のラカイン州に居住しており、仏教徒が大半を占めるミャンマーにおいて、ロヒンギャはイスラム教徒で言語もロヒンギャ語を使っている少数民族だ。
ロヒンギャは、バングラデシュへの帰属を求めて武装蜂起を続けていた。なお、ミャンマーでは少数民族が多く、割とみんな武装蜂起しているため、ミャンマー政府は「いつもの武装蜂起」を鎮圧したに過ぎないのだが、この時は「大虐殺・大弾圧」のレッテル貼りをされてしまった。
なお、ミャンマー国民は、ロヒンギャ難民の帰国を望んでおらず、軍事政権の対応はそれなりに支持されているとのことだ(でも軍事政権は嫌われているが)。スーチーさんも「ロヒンギャはテロリスト」と非難しているとおりで、これがミャンマー国民の率直な感覚なのだろう。軍事政権もスーチー・NLDも、親中嫌ロヒンギャの路線は実は同じだ。
しかし、このSNSを使った政権転覆を狙う構図。いわゆる国際金融資本勢力による「自作自演のカラー革命」によく似ている。
この時の狙いは、「民主政治」ではなくロヒンギャが居住するラカイン州に中国が天然ガスのパイプラインを建設しているが、現地を長期的に混乱に陥れることで建設をジャマすることにあったと言われている。
こうした状況下で、昨年の11月にNLDが選挙で大勝利し、軍事政権との連立がなくとも圧倒的な第一党となった。軍側は「不正選挙」を主張していたところ、本日ついにクーデターを決行し、スーチー国家顧問はじめ政権幹部が軒並み拘束されることとなった。
こうした経緯を踏まえて、今回のクーデターを見ると、大体こんな想像がつく。
まずは、中国との関係性だ。
軍事政権の復権により、ミャンマーと中国との関係性が維持されることになる。
スーチー・NLD政権は、多分に国際金融資本勢力の影響が強い。
そして、国際金融資本勢力の全面バックアップを受けているハズのアメリカ・バイデン政権も、事前の予想に反してトランプの対中政策を引き継いでおり、対中姿勢は強硬そのものだ。
ここに来て、ミャンマーが反中的になるのは勘弁してよ・・ということだろうな。
次に、ロヒンギャ問題だ。
スーチー・NLD政権は国際世論の手前、ロヒンギャに強硬姿勢は取れないだろう。この姿勢が招くのは、ロヒンギャ問題の長期化・泥沼化で、特にロヒンギャ族の居住地域でパイプラインを建設する中国にとって、混乱の長期化は最悪の展開だ。
ロヒンギャ危機のミャンマー西部ラカイン州に投資をつぎ込む中国 https://t.co/HyvqPc9q9s
— AFPBB News (@afpbbcom) September 29, 2017
ロヒンギャへの強硬姿勢によるラカイン州の安定という点で、中国とミャンマー国民の希望は一致する。
ということで、今回の軍事クーデターの黒幕は、民衆から一定のの支持が得られると踏んだ中国っぽい・・というのが大方の見立てだ。
しかし、原田武夫氏はもう少し高い視点からこの一件を解説する。
概要はこんな感じだ。
- 新興市場で、日本やアラブ人が誘い込まれた時はもう終わり=ミャンマー市場もずっと終わっていた可能性がある。
- 太平洋戦争において、アウンサンが日本軍に刃を向けたためミャンマー攻略に失敗した。
- アウンサンスーチーは、日本では「民主化の女神」的なイメージだがそれは何故か。
- スーチーはイギリス人と結婚しており、イギリスが取っている状況
- ミャンマーの動きの背後にはイギリスの意向があり、本件もイギリスBBCが真っ先に報じた。
- スーチー軟禁中も米英は見ていただけで、軍事政権がとんでもないことをしている、ということを演出していた。
- 国軍が何を考えて民主化に応じたか、よく分からなかったので、軍部がもう一度政権を奪取する可能性があるため、投資は気を付けた方が良いと言っていた。
- 今後の展開としては、国連が制裁を課すが、そうなると投資資金は凍結されて回収できなくなる。
- 我々日本勢は、最終的にお金を儲けるようにはなっていない。
- グローバル市場で欧米人が対応してくれるのは、我々がカネを持っているから。持たなくなれば、明治大正期のように相手にされない。
- その後、日英同盟を機に富を蓄えたものの、先の大戦で元に戻り、また一からやり直し。
- ミャンマーも同様で、1960年代は豊かだったが今は最貧国。その後、スーチーが戻されて民主化の流れ。
- 軍部は、グローバルアジェンダ全体を見ながら動いているのでは。
- アベノミクスで安倍首相が本当のことは、アメリカのように、途上国に貸し付けたカネを回収に回ったこと。
- 完全に出来ないまま安倍首相が退陣し、アメリカ的なやり方が出来なくなった日本がミャンマーで狙われた。
うーむ、世界の流れのなかで起こった出来事・・ということか。
この件については、まだ情報があまり出てきていないのでよく分からないことも多い。ひとまず、続報を待ちたいと思う。
最後まで読んでくれてありがとう!